曾祖母の手書きや手作り品
朝食後にコーヒーを飲みながら、母や妹とおしゃべりしていたら、ひょんなことから父の祖母、つまり、私にとっての曾祖母の話になりました。
曾祖母は、私が小学校3年生のとき、最後までこれといった病気もせず、99歳で自宅にて眠るように亡くなった、まさに大往生だった人です。
私は子どもではあったものの、曾祖母のことは鮮明に覚えています。
鹿児島の祖父母のもとへ帰省すると、いつも居間の掘りごたつの定位置に座って NHK を見ていた曾祖母。
かなり耳が遠かったので、私や従兄弟たちは叫ぶようにして、話しかけていました(笑)
それでもなかなか伝わらないことが多かったのですが、娘である祖母が話しかけると、それほど大きな声でなくても伝わっていたから不思議。
母と娘の絆のなせる技なのでしょうね。
そんな曾祖母の思い出話に花を咲かせてると、母がおもむろに
「そうそう、ひいおばあちゃんの手作りの品を見せたっけ?」
と言い出しました。
私も妹もそういったものは見たことがありません。
すると、母が二階の収納から、おもむろに取り出してきました。
箱から出てきたのは、曾祖母がつくった小さなサイズの服たち。
どうやら、見本やサンプルとして作ったもののようです。
曾祖母が専門学校に通っていたのは明治の頃ですから、着物はもちろんのこと、水兵さんがきるようなセーラーカラーの服や、職人さんが着るような腹掛けと股引きがあったり、布製の服だけでなく、こんなものも。
すべてが小さいサイズなので、とってもかわいい!
他には、教本やノートの類も何冊かありました。
お裁縫だけでなく、料理も習っていたらしく、手書きのレシピノートを発見。
写真はきんぴらごぼうのレシピですが、ライスカレー、チキンカツレツ、スポンジケーキなど洋食のレシピもたくさん。
思わず読み入ってしまいます。
私が知っていたのは、静かにニコニコと掘りごたつに座っている曾祖母だけ。
こんなに細やかで器用な人だったとは。
また、思い出の品々が大切に残されていたことにも、びっくりです。
もう曾祖母に会うことはできませんが、曾祖母が手をかけて作り、大切にとっていた物たちを通じて、その人柄に触れるのは、とても特別な体験になりました。
母と
「このひいおばあちゃんグッズは、これからもちゃんと取っておこう」
と約束しました。
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