姪っ子の誕生と妹のこと
ゴールデンウィーク中に、姪が生まれました。
これは私にとって、決して大げさではなく、本当に本当に特別な出来事です。
ついにここまでたどり着いて、無事にこの世に来てくれた。
ほっとする一方で、時勢柄、まだ直接会えておらず、いまいち実感が湧かないような。
夢みたいなフワフワした気分だったりもします。
姪の誕生がとりわけ特別なわけ。
それは、今回母親になった一番下の妹にあります。
妹は、10年ちょっと前に 20 代半ばで、婦人科系のがんを患いました。
決して初期ではなく、すでにリンパ節にも転移。
途中、がん性腹膜炎まで起こしました。
親戚一同見渡しても、がんに罹った人は誰もいない。
それまで家族が入院したといえば、母の盲腸と、妹の鼠経ヘルニアくらい。
そんなほとんど病気に縁がないような我が家に起こったまさかの事態。
私たち家族はすべてが手探り、かつ、必死でした。
妹は仕事をやめ、当時住んでいた関西の部屋を引き払って、こちらの病院に転院。
転院先の病院は実家から少し離れた場所にあったため、病院近くのマンションに、小さな部屋を借りて、妹が入院している間は、家族が交代でそこに寝泊まりし、病院通い。
妹が退院すると、妹自身もしばらくそのマンションに住んで、病院へ治療に通いました。
治療は、腫瘍を取り除く手術が計 3 回 (うち、夜間の緊急手術 1 回)、副作用関係の手術が 2 回。
半年間の点滴による抗がん剤治療と、その後しばらく飲み薬の抗がん剤を服用しました。
当時の私は、7つ下の妹に起きた、全く想像もしていなかった事態に、
眠れない、
目の前の景色が灰色に感じる、
何を食べても美味しくない、
何を聞いても心から笑うことができない、
を生まれて初めて体験しました。
それでも、じっとしているわけにはいきません。
とにかく家族ひとりひとりが、やれることをやる。
ゴールが見えないマラソンのような気分でしたが、一日、一カ月、一年、二年....
また状態が悪化するんじゃないか、再発するんじゃないか。
不安を抱えながらも、少しずつ時を積み重ねていく中で、ちょっとずつちょっとずつ日常が戻っていきました。
抗がん剤治療が終わると、妹は数年かけて資格を取得し、就職。
就職先で出会った人とご縁があり、結婚。
クリニックに通って、今回の妊娠、出産となりました。
10年前、妹に
「とにかく生きててくれたら」
と思っていた、あのときの自分に、
「子どもが生まれるよ」
と伝えても、信じないでしょう。
もしかしたら、
「それどころじゃない!」
と怒るかもしれません(笑)
何しろ、医師免許を持つ伯母からは、当時
「5 年、10年後に生きている可能性は低い」
とメールをもらいましたし、その後、友人の医師からも
「あの状態を乗り越えたなんて、よっぽど本人の身体が強かったんだと思う」
と言われたくらいです。
そんな経緯があって生まれてきてくれた姪は、私の人生最大の奇跡。
この奇跡が起きたのは、妹や、誰かのがんばりではありません。
どれだけ心の底から望んでも、どうにもならないことだってあります。
今があるのは、ただただ幸運だっただけ。
本当にそう思います。
そして、支えてくださった方たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。
特に妹の主治医の先生。
全幅の信頼を寄せられる主治医と出会えたことは、私たち家族にとって、非常に大きかったです。
自然妊娠はムリでも、対外受精の可能性を残してくださったのも、先生の判断。
いわゆる名医と言われているような方で、非常にお忙しいにも関わらず、ずっと伴走し続けてくださいました。
実は、今回妹が出産した病院は、先生の息子さんが勤務されている病院。
出産後、妹のもとにこんなステキなお花が届いたそうです。
なんと先生からとのこと!感激ー!
今までずっと、妹の病気のことは、あまり周りに話してきませんでした。
知られたくないという気持ちは全くなかったのですが、病気の性質上、快方に向かっているのかそうでないか、治ったのか治ってないのか、が分かりづらかったからです。
せっかく
「妹さん、大丈夫?」
と声をかけてもらっても、"わからない..." が正直なところ。
せいぜい "今のところ、変わりない" みたいな表現になってしまいます。
また、そもそもポジティブな話でもないですし、直接仕事に影響がある場合などを除き、自分から人に言うことはありませんでした。
ただ、10 年以上経つのと、姪っ子もきてくれたので、自分の中でも一区切りにしてもよいかなと思い、書いてみました。
とにかく今は、近々、姪っ子に会えるが楽しみで仕方ないです!
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